新社会人の徒然草

本に影響されてアウトプットの一環としてやってみようかと

私とエヴァ(ストーリーのネタバレなし)

シンエヴァンゲリオン公開されましたね。

Twitterとかでネタバレをしない人達にとても感動を覚えました。

私は根っからのエヴァを知るものではないのですが、それでも思うところがあったのでここに書きたいと思います。

 

・コンテンツを知るきっかけ及び劇場版を見るまでの経緯

幼少期おそらく小学校低学年の時にテレビ版のエヴァンゲリオンが母方の実家で流れていたと記憶している。

元々というか現在までロボットものアニメは得意ではないため、特にハマることはなく時は過ぎていった。

中学高校と周りにエヴァ好きの人がいて、なんとなくストーリを聞いたりしていた気がするけど、積極的に関わってはこなかった。

大学時代に友人がエヴァは平成初期という閉塞感がある中でこそ輝いたと語っており、興味を持ちテレビシリーズを一気見した。

確かに当時を考えると主人公が主人公としてのキャラクタライズされていない感じや戦うことや自分の存在に葛藤を持ちながら

それでも戦わなければならないという人間の生臭さを表現したアニメは珍しいと思った。キャラに現実味を帯びていることが人気の一因なのだと感じた。

劇場版は正直観た記憶があまりなく、今回のシンエヴァンゲリオンを観に行く前日に一気見したくらいです。

私と同世代の人のいわゆるオタクと呼ばれる人達はこの一度社会現象にまでなったエヴァンゲリオンに少なからず影響されているのだと思います。

後世のアニメの演出やキャラクタライズに大きく影響を与えていることは間違いないのですから。

 

・劇場版の感想

すごく丁寧に丁寧にキャラクタの心情や行動意義といったものを描いてくれていたと感じた。

ある種説明しないで「わかるだろ」といった感じで視聴者に投げかける形で流行ったアニメと認識していたので、最後にきちんと描いていることに驚いた。

監督が本当に終わらせようとしている、風呂敷を畳もうとしているんだということを強く感じた。

また、やはりこのアニメのキャラクタはどこか監督を投影している部分があると思った。

それもあり、劇中でこの作品に対する葛藤や作品を生み出す苦しみが滲み出ている印象を受けた。

個人的には終わらないと思われていた作品にピリオドを打つことで作品、監督、キャラクタは呪縛から解き放たれたと感じた。

最後のエンドロールと宇多田ヒカルさんの歌を聴いたときに、本当に終わってしまったと喪失感を感じました。

このような感覚になったのはスターウォーズep3及びep9を視聴した時以来です。

 

ですが、私はこの最初に視聴した印象のままでいたいので、2回目を視聴することはないと思います。

この映画から早くエヴァを卒業して現実をみなさいと言われた気がしてならないのです。

 

友人たちと「エヴァいつ終わるんだよ」「ほんとに終わるのかよ」といった冗談めいたことが言えなくなって悲しいです。

総じていいアニメだったと思います。観る人のエヴァに対する思い、生き方で思うところが変わるいい映画になっていると思います。

考察とかも良いですが、観た通り受け取るのが全てなのだと思っております。

 

シリーズを見ていない人は劇場版三部作を見てから観に行けば十分物語は追うことができるので、強く視聴をお勧めします。

映画作成に関わった皆様にこの様な素晴らしい作品を長い間描き続け、きちんと終わらせてくれたことに感謝したいと思います。

久々に心を動かされた経験になりました。

 

以上